あ、雪

ノルウェイの森を最初に読んだのは、確か大学受験を終えた頃の三月だった。暇だったので、屋根裏の物置にある親の本棚を漁っていたら、文庫本のノルウェイの森の上巻があった。特に読まない理由がなかったので、なんとなく読んでみた。初めて読む村上春樹の小説は、僕にはページを繰るのが億劫になるほど、気持ち悪くて仕方がなかった。表層的な部分しか読めていないと批判するかもしれないが、表層的な部分に着目せざるをえないほど、性描写の生々しさや、登場人物の異常性が目に余った。とりあえず上巻を読み終えた感想はもちろん最悪で、思い返せば思い返すほど、むわっと漂うリビドーの香りがカリカチュアされた。その割に続きが気になってしまったので、後日図書館に行って、下巻を読んだ。本棚には並んでいなかったので、わざわざ司書に訪ねて、書庫に保管されていた上製本を取り出して貰った。感想は詳しく覚えていないが、嫌だなあと思ったことだけは覚えている。

 

そういえば今好きな人がいて、その人は高校生をしている。受験生だから、話をする機会も制限されている。(制限している)彼女が3年生になった頃から、電話は週に一回程度にしていたのだが(よく考えたら一年近くも続けていたことは凄いことだ)テスト前は控えていた。しばらく電話ができくなる前の日の電話で、彼女は「私のことを忘れないで」と言うようになった。その度に僕は忘れないよと言うのだが、似たようなやりとりがノルウェイの森にあった。もちろん文脈は違うのだけれど。「本当にいつまでも私のことを忘れないでいてくれる?」「いつまでも忘れないさ」「君のことを忘れられるわけがないよ」なんて、まるで自分たちの会話がトレースされたかのようだ。別にノルウェイの森の表現を殊更覚えていたわけではない。(山が崩れて......のセリフだけは覚えていたけど)だが、自分のうちから出てきた言葉(割と背景がある言葉)が、小説に出てくるとびっくりする。いや、ありふれた言葉であることは間違い無いのだけど。

 

直子は、ワタナベが直子のことをいずれ忘れてしまうと確信していたから、忘れないでと言った。彼女はなぜ忘れないでと僕に言ったのだろう。答えはたぶん4月ごろに聞けると思う。早ければ3月末ごろ。

 

 

 

薄ら氷に降りつる雪の輪郭も溶けていく名も君だけは知る